バレンタインデーにワクワクしたことは、

人生で一度もない。

といえば嘘になるのかも分からないほど、今では興味のkの字も出てこない。(ローマ字は細分化できて面白い) 規律外の学校行事のような不思議なポジションのイベントであり、嫌悪する時間が長かったように思う。言葉を選ぶつもりは更々ないこともないが、鬱陶しいのだ。

「例のアレ」を貰ったから返し、まわりが「例のアレ」を交換するから、その波に乗る程度の興味である。小学生にも流された方がラクな時があるのだ。何故なら彼らの社会を構成しているおおよそ半分が学校社会であるからだ。

例のアレというと、随分と怪しい物に感じるが、もとより学校では「チョコを含むお菓子」は持ってくることを禁止されている。なお、例外は認められない。※低血糖の緊急対応の際は実に例外である。 バレンタインデーはキッズたちの社会を随分大人にさせる魔法だと思う。スニーカーがミュールに変わるようなものだ。たった1日のために、規律を破り、自己表現に勤しみ、可愛くラッピングまで施すのだ。胃の中で溶けゆくチョコレート。レシピで「愛情♡」がエッセンスの場合は、愛情が体内で消化されるかは謎である。 そうして、幾分前から好きだとバレている意中の相手に、心のリボンを解きながらプレゼントするのだ。時にキッズは恥ずかしさを謎のツンケンに変換するものであるが、アラサーの今、可愛らしいキッズのラブストーリーには退屈するに違いない。

時を遡ること、約18年前。

私がバレンタインデーと決別したのは小4の時である。お家の広いAちゃん宅で、いそいそとお菓子を作っていた時、なぜかAちゃんママに「靴は揃えてね」と言われたのだ。無論、小4の私は靴を揃えたし、きちんと靴先がドアに向かうように置いたのだ。人生は一筋縄ではいかないものである。他人のママに注意されたのは後にも先にもこの一件だけで、だからこそ鮮烈なのだ。

小4だったのだから。

この時の心情は、不思議と今も覚えているもので、未だに納得がいっていない。つまり、私のバレンタインは振られるような大イベントもなく、交換をつまらなく思う前に嫌な思い出になったのである。もう一生作らん!と意を決したのだ。仕事終わりにこんな文章を書く大人に成長したが、あの日はやっぱり靴を揃えていたので納得がいかない。 私は靴を揃える。 今は誰も注意しない「たった一人の城」。 そこで私は、チョコを食べるのだ。